17歳のころに学ぶべきこと/無遅刻・無欠席を礼賛する風潮はどうかと思います の、
しあわせの必要条件は「自由」であることだ。
に思うところあったので感じてることをメモメモ。
こんな事を書いて会社を辞めた僕がこれに共感したって書くと、仕事してない僕は自由だー!って言ってるみたいだけど、ここで言う「自由」とは、何かをしなくて良い自由というより、何をするか自主的に選択する自由と言った方が言わんとするニュアンスに近いと思う。
ここ数日、なんでかなって考えてたことがあった。
根詰めて勉強するのは体力的にもキツイし、孤独だし、思うように進まなくてイライラしたりする。
それなのに、強がりでも何でもなく、今僕は大きい大きい幸福感を感じてる。
予想してた精神状態と違う。もっとシビアなメンタルコントロールが要ると思ってた。
やりたかった事をやれてるから?ちょっと違う。今月は色々あってやれてない。焦りはあるし充実感薄い。
仕事のストレスが無いから?多少はあるかも。でもその分将来への不安とかストレスになってるはず。
そこでしっくりきてた考えがこれだった。
もしかして:今の状況を自分で選択している実感があるから
自分で考えて選択した結果が今だと実感する事は、選択の正誤に関係なく、精神的に良い影響がきっとある。多少の不安やストレスならかき消してしまうほどの。
起業家にやたらテンション高い人が多いように見えるのは、そう振る舞う必要があるだけじゃなく、選択による幸福感も影響してるんじゃないかな。
単に選択肢があるだけじゃなく、結果に責任を持つ覚悟や、自分の頭で精一杯考えたことが、選択の「実感」につながってる感じ。
必要条件なのかは分からないけど、今感じている限りすごく大きな心理的作用なので、
- 強制的に選択を奪う不要なルールや同調圧力にはもっと敏感になろう。
- 幸せに働いてもらうには多くの選択を相手に委ねたい。できることは最小限の制約の明示とゴールの共有。
- 選択できる人が選択できない人に同じ負荷を強いてはいけない。
- 限られた人しか選択できない世の中は構造的に欠陥がある。
とか考えてた。
僕は僕で、しあわせな人間が高いパフォーマンスを発揮できることをちゃんと示したいなと思ったりしています。